1. 第1回から第3回のまとめ

 第1回第2回第3回の記事において、近代以降、私たちが移動の自由と職業選択の自由を得たことで、孤独に至ったプロセスを説明し、それに対処し、乗り越える方法として、①多層的・多重的なアイデンティティの形成②多層的・多重的なコミュニティへの参加を提案した。

2. 自己啓発・自己開発の手法

 本稿では、多層的・多重的なアイデンティティの形成を図るために、自己啓発・自己開発の手法について、考えていきたいが、まず用語の定義などを確認しておく。

 アイデンティティは一般に、生まれ育った環境において自然に形成されるようなイメージがあり、それも一面の事実であるが、大人になってからも、社会との関係で変化し、また自分が意図して形成しうるものである。

 本稿では、アイデンティティを以下のように定義づける。

アイデンティティとは 「連続性のある自分らしさと、その維持・発展」

 また、自己啓発と自己開発の違いについて、あまりこだわりなく、特別な区別をしないで使っていくつもりだが、念のために一般的な区別はこのような感じだろうか。

自己啓発:自分(内面)の成長のために、知識・技術等を身につけたり、考えを深めたりすること

・読書

・学習

・セミナー

自己開発:自己啓発等で得た知識・技術を外に向かって、活用したり、実践したりすること

・資格取得

・研修、ワークショップ

・転職、副業

3. ネガティブリスト

 本稿を書き始める前までは、自己啓発・自己開発の手法について、自分なりの考え方を示した上で、おすすめの事例があれば、個別に紹介しておこうと思っていた。

 しかし、人によって向き・不向きの大きな事柄に関しては、ポジティブリスト(おすすめ)よりも前に、ネガティブリスト(やめておきたい)を先に示したほうが読者にとって、メリットがあるような気がする。

 だからまず、「こんな自己啓発・自己開発はやめておこう」から考えたい。

 なお、これ以降、単に「自己啓発」と記載するが、一般に自己開発と呼ばれるものもこれに含むものとする。

4. 「自己啓発本だけを読む」 やめておきたい自己啓発①

 自己啓発のために、いわゆる「自己啓発本」を読むというのは、一見、理に適っており、むしろ当然のことのようにもみえる。

 自己啓発に特化しているのだから、回り道する心配がなく、効率的ではないかと。

 しかし、このブログにおける自己啓発はそもそも、多層的・多重的なアイデンティティの形成を図るためのもので、自己啓発本だけに頼ると、むしろアイデンティティの単層化が進み、望んでいたことと逆の結果が生じる危険がある。

 自己啓発は、自己啓発(というジャンル)のみでは達成できないと考えたほうがよく、読書で知見を得るのであれば、幅広いジャンルを心がけたい。

 自己啓発のジャンルに属する本の中でも、自分の成長につながる大変優れた本もたくさんあり、例えば、『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』(岸見一郎・古賀史健著 ダイヤモンド社)などは、アドラー心理学の入門書として良書であり、物事の新たな見方(目的論的な見方)が得らえる点で、おすすめできる。

 逆説的なことだが、自己啓発は、自己啓発を直接的な目的にすると、かえって遠のいたりするので、本を読む際には、自己啓発は度外視して、少しでも興味が湧いた分野のものをどんどん読んでいけばよい、ということになる。

5. 「独善的・排他的な自己啓発」 やめておきたい自己啓発②

 繰り返し言っているように、本稿における自己啓発の目的は、多層的・多重的なアイデンティティの形成を図ることである。

 多層的・多重的なアイデンティティとは、言い換えれば、多様な価値観が幾重にも豊かに積み重なり、それでいて、自分らしい個性、連続性とまとまりがあるような自己のあり方だが、当然のことながら、独善的・排他的な自己啓発とは相容れない。

 例えば、以下のようなキャッチフレーズは要注意である。

自己啓発に関する注意すべきキャッチフレーズ

・〇〇〇だけ習得できれば、あとは何もいらない。

・○○〇に必要なたった一つの秘密。

・〇〇〇で、あなたの人生は変わる。

・あなたは選ばれた特別な人間。周囲の人間は邪魔。

・○○〇の方法以外は、絶対にうまくいかない。  等

 このようなキャッチフレーズを見かけると、ついそそられてしまうのが人情だが、「限定」、「特別」、「○○〇だけ」という煽情的な誘い文句には、ことさら注意を払うべきだ。

 本来、孤独とはたいへん複雑で厄介な問題である。

 そのたいへん複雑で厄介な孤独を乗り越える方法の一つとして、このブログでは、①多層的・多重的なアイデンティティの形成、②多層的・多重的なコミュニティへの参加を掲げているわけだが、①や②の過程が突如として、安易で簡便(独善的・排他的)になってしまうのは、おかしいと思わなければならない。

 複雑で厄介な問題を乗り越えるには、(あくまで)少々の複雑で厄介な方法・手順を覚悟しておく必要がある。

「急がば回れ」であり、煽情的に文言に惑わされ、かえって遠回りしないよう注意したい。

6.「宗教ではなく、教団にのめり込む」 やめておきたい自己啓発③

 私は現代社会にあっても、一般に宗教を否定しない。

 宗教とは元来、ある共同体の中で、人々が仲よく暮らすための考え方と技術として発達したものであり、争いごとの絶えない、こんにちの社会だからこそ一定の価値がある。

 私たちが宗教に対して抱く否定的なイメージがどこから来るのかというと、宗教の教え(思想)ではなく、教団のあり方、とりわけ新興宗教(新宗教)の教団のあり方ではないかと思われる。

 教団はそれが組織であるかぎり、自己絶対化と自己保存を目指して運動を続けるので、株式会社とさして変わらず、資金集めに奔走することになる。

 それはまるで、一個の生物のように自律的存在であり、末端の信者ほど、その自律的存在の犠牲にされる。

 つまり、資金集めを強いられ、家族など周囲とあつれきが生じることになる。

 もちろん、最終的には個人の自由であるが、自分がのめり込んでいる対象が何なのか、つまり宗教の教え(思想)なのか、それとも教団(組織)なのかは、できる限り意識的・自覚的でありたい。

 孤独という課題に対しては、教団(組織)に傾きがちで、教団(組織)のほうもそのことを熟知しているので、よくよく注意が必要だ。