1. 前回の概要

 「第2回 孤独を乗り越える方法 その1」では、多層的・多重的なアイデンティティの形成について、その具体的内容を説明した。

 近代以前の社会では、たいていの人は特定の土地に縛りつけられ、身分(職業)が固定的だったため、アイデンティティは安定的で、揺らいだりすることはなかった。

 近代以降は、私たちは移動の自由と職業選択の自由を手に入れたが、その反面、社会の中でたった一人の努力により、何者か(アイデンティティ)になる必要に迫られた。

 近代市民社会では、とりわけ情報通信技術が発達した現代では、社会の変化が著しく速いので、一個の職業を通じて形成されるアイデンティティだけでは決して安泰とはいえない。

 このため、自己啓発や自己開発等を通じて、アイデンティティの多層化・多重化に努めることが大切である。

 また、これまで直接的には言及していなかったが、近代以降、移動の自由と職業選択の自由を得た代償として、孤独に陥っているからといって、近代以前に戻ればいいとはまったく思わない。  

 近代の価値観(自由、平等、民主主義、個人主義など)を前提にしつつ、その深刻な課題(例えば、「孤独」)を認識した上で、今の時代にふさわしい生き方や、社会のあり方を模索すべきで、復古主義に堕してはならない。

2. 移動の自由がもたらすもの

 孤独を乗り越えるための方法として、次に「多層的・多重的なコミュニティへの参加」について、考えていきたい。

 これまでの考え方を図式的に表現すると、以下のようになる。

 孤独の要因 孤独のプロセス 対  策
職業選択の自由アイデンティティの不安定化多層的・多重的なアイデンティティの形成
移動の自由コミュニティの希薄化多層的・多重的なコミュニティへの参加

 しかし、移動の自由と職業選択の自由は相互に密接に関係しており、「移動の自由」と「多層的・多重的なコミュニティへの参加」が、また「職業選択の自由」と「多層的・多重的なアイデンティティの形成」がつねに1対1の関係にあるわけではない。

 あくまで物事を分かりやすくするための目安程度に考えてもらいたい。

 近代以前の封建的身分制社会では、ほとんどの人が生まれた土地で生涯をすごした。

 封建領主としては、農耕に関する安定的な労働力の確保が最も大事で、勝手に移動(居住・移転)されては困るのである。

 一方、近代市民社会では、移動の自由を保障されており、どこに行っても、どこに住んでもよい。

 とはいうものの、産業資本主義の発達した現代では、工場、設備、オフィスなどが集積しているほうが効率の面で有利であることから、自然に都市化が進む。

 すると、仕事を求めて、農村部から都市部へ人口が流出し、ますます都市化が進展することになる。

 「第1回 私たちはなぜ孤独なのか」の中で、「近代市民社会の特徴は、西欧の市民革命(民主主義)や産業革命(資本主義)を背景に、個人の自由と権利(人権)が尊重されるところにある。」と指摘した。

 自由、平等、民主主義等が実現したことは、人類にとって歴史的な進歩であり、個人の自由と権利が保障されたことにより、結果的に資本主義が発展したようにみえる。

 しかし、農村部から都市部への人口流出という現象は、仕事を求めてやむを得ずという側面があり、つまり、移動の自由(原因)があって、都市化(結果)が進んだというよりも、都市化(目的)を進めるために、移動の自由(手段)が生み出されたとはいえないだろうか。

 それは職業選択の自由についても、同じことがいえる。

 職業選択の自由(原因)があって、資本主義が発展(結果)したのではなく、資本主義の発展(目的)のために、職業選択の自由(手段)が生み出されたのだと。

3. だれもが孤独になる社会

 都市部では、人口的には人の数が多くても、より個人主義が尊重されるため、核家族化と単独世帯化が進行した結果、いとも簡単に孤独に陥ってしまう。

 地縁・血縁社会(村、隣近所、大家族、一族等)が機能していれば、たとえ誰かが失業したり、離婚したり、病気になったりしても、互いに支え合って乗り越えることができた。

 日本の孤独問題を考えるとき、高齢の男性が話題になることが多く、未婚男性は寿命が短い(※1)とか、男性の孤独死の割合が高い(※2)とかいわれ、それはたしかに事実なのだが、そればかりではなく、個人主義が浸透した社会では、地縁・血縁を代替する仕組みがないので、子どもや若い世代も、ちょっとしたきっかけで、孤独になり、重大な事態に陥りやすい。

※1 未婚男性の平均寿命は68.5歳。人口動態調査(2015~2019)

※2 「第10回孤独死現状レポート」(2025年12月 日本少額短期保険協会)によると、孤独死は男性が83.1%。

 単一のアイデンティティに頼るのが危険であるように、単一のコミュニティに頼ることも同様に、大変危険である。

 いまのような高度情報化社会では、インターネットやSNSなどがあり、一見、便利で合理的なようでいて、あるコミュニティ(家族、学校、会社等)からこぼれ落ちたときの代替手段が極めて乏しい。

4. 多層的・多重的なコミュニティへの参加

 そこで、通常属している一つの家族、一つの学校、一つの会社以外にも、別のコミュニティへ参加し、できるかぎり多層化・多重化していく必要がある。

 コミュニティへの参加については、特有の課題があり、例えば、地域の町内会、祭り、サロン、ボランティア活動などへの参加が推奨されるが、それらになじみのない人にとって、心理的ハードルが高いため、現実的にはなかなか難しい。

 先に例に挙げた高齢男性はもちろん、子どもや若い世代にとっても、地域コミュニティというのは、個人主義の価値観と対立するものと見られやすいので、参加を促すとしても、それなりの工夫(個人を尊重する)が求められる。

 『集まる場所が必要だ―孤立を防ぎ、暮らしを守る「開かれた場」の社会学』(エリック・クリネンバーグ 藤原朝子訳 英治出版)は、1995年、シカゴでの熱波によって、熱中症等で700人以上の死者が発生した事案を教訓に、住民の命を守るのは、社会的インフラ(集まる場所)だとしている。

 社会的インフラといっても、大げさなものではなく、図書館、学校、公園、運動場、飲食店などを指し、これらを通じて、ふだんから交流があると、災害時等には声をかけ合い、命が守られるのである。

 1995年、シカゴを襲った熱波の際、エアコンの設置が少ない貧困層の地域では、一般に死亡率が高かったが、同じ貧困層の地域であっても、飲食店、公園、教会、雑貨店等を通じて交流が活発な中南米系住民の地域では、死亡率が低かったという。

 社会的インフラの例で興味深いのは、黒人住民にとっての理髪店である。

 アメリカ社会では長い間、黒人は不当に差別されてきたので、公共の場所で安心して集うことができなかった。

 そのため、黒人が経営する理髪店は、安心して集まり、自由に話せる数少ない場所で、情報交換・共有や、あらゆるテーマに関する議論の場として機能していたという。

理髪店をイメージさせる画像

 理髪店の例のようにコミュニティといっても、歴史的・社会的な背景によって様々であり、また各個人によっても、相性のよしあしがある。

 個別具体の事例は今後の記事で紹介するとして、いまは基本的な考え方のみポイントを示しておく。

  コミュニティ参加に関するポイント (すべてを網羅する必要はない。)
1. 出入り自由で、参加が強制されない。
2. リアルな交流が望ましいが、募集や運営の上では、デジタル技術の活用も大切。
3. 囲碁・将棋サークルが典型だが、話したくなければ、話さなくても問題ない。.
4. 高齢者の場合、現役時代の仕事や得意分野が活かせる。
5. 何らかの役割があって、地域への貢献ができる。
6. いざというとき、セーフティネットになる。