1. 前回の概要
「第1回 私たちはなぜ孤独なのか」では、私たちが近代以降に孤独になった原因について、「移動の自由」と「職業選択の自由」という観点から考えてみた。
また、夏目漱石の『私の個人主義』という重要作品を通じて、個人主義との関連からも考えた。
私が強調したかったのは、孤独であるのは、歴史的・社会的に生み出された必然であり、個々人には何ら責任はないということだ。
孤独の問題は、現象としては個人のものであるが、気がつけばそうなっているたぐいのものであって、よく指摘される高齢者の孤独だけでなく、子どもの不登校やひきこもり、学校内のいじめとも密接に関係していると考えられる。
個人の自己責任に帰すべき問題ではない。
2. 孤独は個人の責任ではないが…
近代以降、私たちは移動の自由と職業選択の自由を手に入れ、その代償として、孤独に陥っている。
その関係が見えにくいのは、移動の自由と職業選択の自由が、明治初期に理念的には実現したものの、実際には事実上の様々な制約があり、長い時間をかけて徐々に実質的に実現したためである。
○○(地域)村の「私」でも、○○(職業)民の「私」でもなくなると、何者でもない空虚な「私」だけが残ってしまう。
だから、近代以降、私たちは「教育」を受け、「職業」に就き、自身の努力で何者かになるよう強いられてきた。
それだけの能力がある人にとっては、大変喜ばしいことであるが、そのような人が割合として果たして、どれだけいるだろう。
そうでない人にとって、「どこに住んでもいい、どんな職業に就いてもいい、ただし、自分の努力と責任で」という自由は、むしろ重荷である。
地縁・血縁社会(村、隣近所、大家族、一族等)が事実の上でまだ機能しているころは、自由の重荷に耐えかねた人でも、それらの中で助け合いながら、なんとか生きることができた。
しかし、東京をはじめとする都市部では、近代化(都市化・核家族化)が極限まで進展した結果、地縁・血縁社会はほとんど崩壊しており、おびただしい何者でもない「私」であふれている。
前述したように、それは個人の責任ではないのだから、社会全体で解決を図るべき問題であるが、イギリスが世界で初めて孤独対策の担当大臣を設置したのが、2018年であるにすぎず、まだ端緒に就いたばかりだ。
(※なお、日本では2021年に孤独・孤立対策担当大臣が置かれたが、2026年現在では「共生・共助」という枠組みに編入され、同名の担当大臣が置かれている。)

3. アイデンティティの形成
なにか腑に落ちない点を感じつつも、さしあたり、自分の手で、できるかぎりの対策を講じるしかない。
前回の記事では、以下の2つの対策があるとした。
- 多層的・多重的なアイデンティティの形成
- 多層的・多重的なコミュニティへの参加
最初に、「多層的・多重的なアイデンティティの形成」を取り上げよう。
土地(地方、地域)と職業は、その人のアイデンティティを形成する上で非常に重要な要素である。
近代以前は、それは生まれながらに決定(生涯を通じて固定)されていたので、アイデンティティの形成について、悩む必要はなかった。
アイデンティティの形成というと、思春期や青年期がイメージされやすいが、アイデンティティは社会との交わりの中で変化するもので、社会人になっても、この形成の過程は続いていく。
このブログでは、「連続性のある自分らしさと、その維持・発展」というほどの意味で、アイデンティティの形成、自己啓発、自己開発等の用語を文脈によって使い分けることにする。
4. アイデンティティの多層化・多重化
そもそも、孤独が問題になるのは、物理的に一人でいることではなく、一人になったときに「苦しい」、「つらい」と感じる場合である。
また物理的に一人ではなく、周囲の人々に囲まれていても、「自分は一人だ」、「孤独だ」と感じることがある。
『私たちはいつから「孤独」になったのか』(フェイ・バウンド・アルバーティ 神崎朗子訳 みすず書房)によると、イギリスで、“loneliness”(否定的な感情体験としての孤独)という言葉が生まれたのは、18世紀末ごろのことだという。
この背景には、産業資本主義の発展や個人主義の浸透があり、「孤独」が近代(この200年ぐらい)の現象だということが分かる。
一方、同じ孤独でも、“soliude”という、ずっとそれ以前からある言葉には、静けさや充足のようなポジティブな響きがあるという。
自ら好んで孤独の状態を選び、自分も他人も困っていない場合、それは“solitude”であって、なんら問題ではない。
問題なのは、“loneliness”で、一つの端的な例は、会社員が定年退職後、やることがなくなってしまい、家庭や地域社会にも居場所がなく、孤独を感じるような場合である。
これは、会社員としての「私」というアイデンティティが一つしかなく、他の〇〇としての「私」が形成されていなかったからだ。
会社員には普通、定年制度があって、どれだけ実績を残し、たくさんの部下を率いていたとしても、いつか終わりが来るのだから、会社員としての「私」というアイデンティティに依存するのは大変危険である。
もちろん会社員といっても、いろいろで、ある業界に関する知識・経験が豊富で、会社を辞めても、自分で新たに会社を起こしたり、コンサルタントとして自立できたりする人は、アイデンティティが多層化・多重化されており、まったく心配はいらない。
こういう人は一時的に孤独に陥っても、それに耐えうる強さというか、柔軟性を持ち備えていて、たぶん“solitude”の何たるかを知っている。
社会が目まぐるしく変化していく現代では、どんな職業も安泰とはいえないので、多層的・多重的なアイデンティティの形成に努める必要がある。
これは一般には、自己啓発や自己開発を通じて得られるが、今後、詳しく述べていくことにする。
